つまり、どこかのタイミングで頑張らなければならないのは、うつ病患者といえども例外ではないのです。
では、そのタイミングとはいつなのか? うつ病患者に接する者が「頑張れ」というエールを投げかけるべきタイミングについてくわしく述べてみたいと思います。
「頑張れ」を言うべき時期は、うつ病寛解がほぼ間違いない状態にまで浮上してきた時に限られると思います。
うつ病には波があるのは当然ご存知だとは思います。うつ病のひどい時は個人差はあるとは思いますが、その波は大きく短期間に変動することが多いのではないかと思います。そして場合によっては一日の中でその波に何回も翻弄されることもあるのは事実です。そのような状態の時は、患者さんがどれだけ頑張ろうともその波に打ち克つことはなかなか難しいものです。ですから、こういう状態の時に頑張れ、というのは無意味ですし患者さんを傷付けることになるから、禁句と言われているのだと思います。しかし、投薬治療や休養が功を奏して、波が次第に穏やかに、そして緩やかになって来た時には、患者さんは落ちないように頑張ろうと、または浮上しようと頑張ろうとしているのです。
実は、落ちて行く波の中よりも、浮上する時の波の方が辛いのです。落ちて行くときことは省略しますが、浮上する時には波のどん底で何も出来なかった自分を痛烈に批判しますし、出来なかったことに対して相当の後悔もするものなのです。そういうやりきれない思いの中でもがきながら、浮上を続けて行くのです。そして、最終的には一時的にせよ、長期的にせよ安定した状態に戻るのです。
まずはこのことをしっかりと覚えておいて頂きたいと思います。
そして、本題に入るのですが、「頑張れ」を言うべき時期は、安定した状態に戻った時のみです。患者さんは当然落ちてゆく辛さを知っているので、今の状態を維持しようと状態が安定している時は必死です。そして、また波の底に沈んでいかないように何事も注意深く対応しています。この頑張りは恐らく経験したことにない方には分からないでしょうが、例えて言うならば、体にタイヤの重石につけて引っ張りながら真っ白な雪原の中から自分が落としたダイヤモンドを探している状態に近い、と言っても過言ではないと思います。とにかく、まだ完全に自分の意思のコントロール下に入っていない体を無理やり動かして、完全には見えない周囲の状況の中から、「安定した生活」を模索しているのです。
それ故に、この状況では、「焦らないように頑張れ」ということが必要なのだと思います。今日見つからなくたって良い。明日見つからなくたって良い。のんびりととにかく探し続ければ、必ず見つかるから焦らないことに頑張れ、ということが必要なのだと思います。
例えが長くなりましたが、焦って道をつけようとして、見つからなくて放棄してしまわないように手綱を引くための「頑張れ」が、安定的に浮上してきた時に必要な頑張れなのだと思います。
また、当然のことながら、仮に今安定しているとしても単に浮上してきている状況であるならば、場合によってはまた波に沈んでしまう可能性だってやはりあるのです。沈んで行きつつある時、沈んで底に漂着してしまった時に、「また、浮上するから頑張れ」というのはかなり酷です。頑張って安定を得ようとしたにもかかわらず、沈んでしまうこともあるのです。ですから、短期的にでも、長期的にでも浮上して安定している時に、先に「今回駄目でも次また頑張れば良い」という風な、今の状態を続けたいがために頑張り続けることを防ぐ頑張れも良いことだと思います。
上に書いた2つの頑張れは、あくまでも焦りと失望を防ぐための「頑張れ」であることは理解して頂きたいと思います。間違っても精神論的な頑張れはこの時期であっても言ってはいけないと思います。
次の頑張れは、減薬の時です。
うつ病寛解と言うと、抗鬱剤の使用中止を感覚的に結びつける方がいらっしゃいますが、私は抗鬱剤の中止が寛解だとは思っていません。うつ病は治ってしまえば二度と再発しない病気ではないので、「完治」と言わずに「寛解」という言葉を使うのです。再発防止のために抗鬱剤をベースとしてごく少量の薬を使えば、普通に過ごせる状態に戻った時点が寛解なのではないかと思っています。さて、減薬に話を戻しますが、うつ病の症状が重ければ重いほど、多岐多様な安定剤、向精神薬等を使って気分を安定させてきたのではないかと思います。そして、状態がほぼ安定した段階でそういった薬を少しずつ減らしてゆくのです。1種類の薬を減らすぐらい大したことない、と思うかもしれませんが、それは大きな間違いです。その薬を使い続けてきた理由は、それを飲むと明らかに効果があったから(一時期でも)、使い続けてきたのです。そして、風邪薬とかと違って服用してきた期間はそれなりに長いのではないかと思います。うつ病で使われる安定剤等については、基本的には強い常習性は無いのではないかと思っています。しかし、効果を認めてきた薬を1種類でも減らせば基本的に離脱症状(禁断症状)はその薬の量や種類にもよりますが、殆どの場合現れます。場合によっては、気分が乱れるだけでなく、眠れなくなることもあります。しかし、医師と相談の上で決めた減薬は余程無理が無い限りそのまま進行されるものですし、逆に言えば、離脱症状の治まる期間まで我慢すれば、あとはどうとでもなるものです。この時期の頑張れは、「もう少しの辛抱で元に戻れることだから頑張れ」ということになるのだと思います。薬が多ければ多いほどこの頑張る期間は長くなるとは思いますが、減薬を決意してそれに医師が太鼓判を押してくれているのであれば、その期間が終わるまで、励ましは必要だと思います。
最後にもう一つ「頑張れ」があります。それは、日常生活を正常化させることに対しての頑張れです。
うつ病の治療法は、基本的には投薬と休養です。投薬と休養でかなりの部分が良くなると思うのですが、代償として秩序ある生活と体力は失われることが少なくありません。そして、それを取り返すのはあくまでも患者さん本人の努力によるものなのです。当然のことながら、うつ状態が酷い時に秩序ある生活を維持するために、無理してでも起きていろ、だとか体力維持のためにジム等に通え、ということは休養を取らせないことになりますので、これは無理です。
状態がほぼ安定してきて(場合によっては減薬も同時進行)、医師がそろそろ社会復帰について話を出すようになったならば、その言葉の中には日常生活を立て直して、体力もそれなりに養うように指示されていると考えた方が良いと思います。
うつ病は決して怠け病ではないのですが、長いこと病床についていたり、場合によってはやりたいことでも諦めることが多かった方の場合、体力の消耗する仕事や場合によっては遊びすらも避けることがあります。うつ病で自らの体を満足にコントロール出来ない状態にあった方が、自衛の策として活動を抑えて体力を温存することはある意味当然のことなのかもしれません。
しかし、うつ病になる前は大抵の方の場合体は健康であったのではないかと思います。気持ちが安定して体が動かせる状態になったのならば、無理の無い範囲で体力を今度は回復する「頑張り」が必要になるのだと思います。温存も当然ですが、少しは積極的に自らを再構築する頑張りをしなければ、折角良くなっても、今度は活動が消極的になってしまうのではないかと思います。
ですから、「元の生活を取り戻す努力を頑張れ」というのは、あくまでもほぼ寛解に近い状態限定かもしれませんが有りだと思っています。
大切なことは看護される側と、看護する側が双方理解しあって、共通の目的である「寛解」を焦らず目指すことが大切なことだと言うことだけは間違いないと思っています。拙い文章で申し訳ありませんが、この文章を読んで下さって患者さんの気持ちが理解できない、と嘆いている看護する側の方が一つでも悩みが取れることを願っています。