うつ病による休職は家族への罪悪感で休養とは言えないかも?治療のため主治医に診断書を書いてもらい休職するも、復職はおろか、退職の危機感さえ高まる。うつ病になったこと‥‥この、人生最大の危機を克服できるのだろうか。うつ病発症から休職と復職の過程で家族とのあつれきについて語るブログ
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イライラと憂鬱感に倦怠感の落差が私をさらに落とし込んでゆく


小さなことで大きくイライラしてしまう。

なにげない朝の風景にもこの問題が浮き彫りになる。たとえば、テレビをつけて少し音が大きかった件で不仲になってしまう。テレビを付けたのは私だから音を小さくするのは私だという論理はわかる。
しかし物事には言い方がある。

たかがテレビの音量の件で攻撃的になる嫁の態度は、うつ病で脆弱な私にはマイナスでしかない。
スイッチをつけるなり「小さくして!」普段から、言い方はきついが、このときだけは、何か「カチンときた」
「小さくすること自体、わかっているよ」
そこからが大変だ、離婚話までに発展した。
どうしてこうなるんだろうか?

イライラしたかと思えばストンと憂鬱感に包まれて倦怠感が押し寄せてくる。

その落差にさらに疲れてしまって何もする気がしない。
もちろん、仕事なんて行こうとも思えない。
私がうつ病だから正常な判断能力がなくて小さなすれ違いがとんでもなく大きな衝突にすり替えてしまって離婚話にまでなってしまうのか?

そうは言っても、嫁の物言いで傷ついてしまいおかしくなることしばしばあった。
ささいなすれ違いで離婚話になってしまったことは今回が初めてでもない。
主治医は絶対に離婚届には判を押さないようにと言っていた。
うつ病で仕事を休んでいるような事態で決断する離婚は、後になってひどく後悔することが多いからだと言う。

しかしながら、もう耐えられない。嫁の攻撃的な言い方もさることながら、そんな小さなことで言い争うことがイヤでつらくなる。
頭がグルグルする。どうなってしまうかわからない。もっともイヤなのは、そんなことを言ってしまう自分である。嫁以上に、自分自身に嫌気が差していることは実は事実でありながら自分では認められないことかもしれない。
けれど、嫁と口論することは脳には相当負担である。

うつ病の苦しさを理解するのは、同じ病気になった者同士でないと無理なのか?
嫁さんは、本当に一緒になってうつ病と立ち向かう気があるのか?

ちなみに、嫁に離婚しようと提案すると「いやだという」「私はしないという」
その根拠はおそらく世間体だろう。自分の体裁なんだと思う。そこに病気で苦しんでいる旦那への配慮など見当たらない。

離婚して社会的に弱い立場になるのと経済的に苦しくなるのを心配しているのが本意でしかないはずだ。
でもこのまま結婚生活を続けたとしても、私自身が本当に就労不能になったらどうするの?その結果は?共倒れだ。このままだと・・・きっとそうなる。

こんなふうにネガティブな思考ばかりに占有される私の脳はおかしいのか?
それとも、憂鬱感と倦怠感を体感するのは見方を変えれば〝病気である証〟なのか?だったら、病気は治療すれば治ると自信を持てば良いのか?

仕事もうまくいかずに嫁とも不仲な今、まさに家庭内離婚。
私は何のために生きているのだろうか。
嫁に悪態はつく、電車の中では他人のささいなマナー違反が許せない、改札では愛想のない駅員に虫ずが走る、仕事はまともにできない。
こんな私の人生に何の価値があろうか?
全てがわからなくなってきている。

うつ病で落ち込むときは極端だ。何もしたくなくなる。憂鬱感や倦怠感・・・・・・とにかく頑張ろう、生きようという精気が吸い取られていくような感覚に陥っている。

うつ病は本当に治る病気なんだろうか?
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